知るの8「和歌浦の栄を知らないのは寂しい」  

 

 最近、仕事もプライベートもなかなか忙しく、更新するのが非常に久しぶりになってしまったわけで…。一か月ぶりですか…。

 

 早速記事に参りたいのですが、知るの4でも話しましたが、和歌浦の話を少々。

 

 なんでも形から入ります故、こんなものも買ってしまいました。

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 ニュース和歌山が50周年を迎えた記念に発行されたものなのですが、これは和歌山市の歴史を知るのにはうってつけのものなのではないかと。ホント形オンリーやな( 一一)

 

 そこで、気になる記事が…。1965年、「巻き返し図った旅館組合」という見出しで、新和歌浦と奥新和歌浦(雑賀崎)の旅館組合が手を結んだという記事があったのが紹介されています。

 

 昭和37年の天皇陛下行幸前には道路整備が進み、和歌浦はその景観と海で、観光客を大勢寄せていたらしいです。しかしながら、1971年、黒潮国体以降、市街地のホテル建設や、国立公園などの規制が強くなり、旅館の開設や改築が難しくなり、徐々に苦境に立たされていったみたいです。

 

 2年前ぐらいから、和歌浦マラソンに参加させていただいているのですが、8キロを超えた後の雑賀崎越え。海側には絶景が見えていますが、なかなか廃旅館も多くあって…。なんとなくという形で、和歌浦の過去と触れ合いましたが、本格的に和歌浦を知りたいと思いました。

 

 そもそも、和歌浦には本当に栄えていた時代があったということも、そこまでは知らなかったし、ますます和歌浦に行きたい気持ちを強くさせられた記事でした。