考えるの13「移民を受け入れられるのか?」

 

 久しぶりの「考える」ですが…。

 

 考えるの12では、労働力を増やすには、どうしたらいいのかを考え、そこで③「移民を受け入れる」が出てきました。

 

 当然、移民を受け入れれば、若い人が増え、労働力、消費、人口が増加し、経済もうまい具合に回っていき、かなりの大団円になりうる可能性があります。

 

 しかしながら、言語や文化、宗教や民族、教育、政治的な考え方…。もうありとあらゆる点で、違ってしまっているというのは、この超保守的な和歌山市に受け入れられるのかというところが、非常に問題です(これは和歌山県にこした話ではないですが)。日本在住の外国人が悲惨な事件を犯したというニュースは結構耳にしますしね(あくまでも個人的な感覚ですが)。

 

 私自身、移民の受け入れに賛成か反対かと問われると…。難しいですね…。メリットもデメリットもあるので、それを天秤にかけられるのかどうか…。

 

 そして、ここで、雑記2「絶望した話」がよみがえってくるワケです。ユーゴスラヴィア分裂を表題とした小説だと言いましたが、そもそもユーゴスラヴィア分裂は所謂ナショナリズムのお話し。

 

 何故、東欧では、分裂や集合を繰り返して今の形となっているのか。これを理解すれば、移民を受け入れられるかどうか、という話にも直結してくる気がします。