考えるの2 「学生運動からタイトルまでを考える」

 ブログタイトルの「考える」をもう少しひも解くとこういう事かな?というのを書きますpart2。

 

 学生運動は、大正デモクラシーの頃から大きく広まり、1980年代までの70年間ぐらい行われていた学生による政治活動やデモなどの事です。

 

 当時世間から、学生が世の中をよくするために、身を挺して頑張っている、となかなかの評価を得ていたみたいですが、次第にリンチや殺し合いなどエスカレートし、学生運動は急速に支持を失い、また、生活が豊かになるにつれて下火になっていったみたいです。

 

 当然、暴力は決して赦される行為ではないですし、弾圧されるのは当たり前だと思います。しかし、学生が現状に満足せず、自分たちが不幸になる世の中に反抗して、身を挺しての抗議は、素晴らしいことではないでしょうか?

 

 また、ここで注目すべきは「生活が豊かになるにつれて」です。

 

 勿論、生活が豊かになることは喜ばしきことで、抗議する必要がないわけですから。現状に満足しているという事ですよね。しかし、未来はどうなるのかはわかりません。

 

 そのための「和歌山市の100年後を考えるブログ」です。和歌山市は不満を蓄積する要素をもっている市だと思っています。今のシステムで、今後起こり得る不満の種を知り、考えていきたい。そういう目的のブログです。

試みるの1「体で和歌山市を感じる」

 

 言葉を書き連ねるだけでは、やはり机上の空論、いやタブレット上の空論だ!!!と誰かさんに言われかねないので、やはり飛び出して、和歌山市を探訪したいと考えています。

 

 和歌山市の名所だったり、美味しい居酒屋さんだったり、隠れたる中華そば屋さんだったり、知られざるイベントだったり、みんなで集いし遊び場だったり…。

 

 「和歌山なんて遊ぶところがないよ!!!」なんて言っていてはもったいない!!!皆さんが知らないだけかもしれませんよ。まあ私も現段階では知らないですが…。

 

 全身で和歌山市を堪能し、大々的に和歌山市で消費を行っていく。私のすずめの涙で、和歌山市を繁栄させたい!!!そして、皆さんの涙も頂戴して、活気づく和歌山市を作り上げたい!!!それが試みるでの目標です。

考えるの1「人間は考える葦である」  

 

 ブログタイトルの「考える」をもう少し考えるとこういう事かな?というのを書きますpart1。

 

 表題はフランスの哲学者パスカルの有名なお言葉ですが、これは、人間は自然のなかで、矮小な生き物だが、考えることによって宇宙をも超えるという宣言ですね。もっと多大な意味があるとは思うのですが、難しそうなのでやめておきましょう。私も知らないです。

 

 私がこの言葉について考えさせられたのは、大学院時分の後輩の一言ですね。当時、ヒトはもっと本能的に生きるべきだと考えていた私は、…考えさせられましたね。

 

 折角与えられた「考える」という事を使わずして、生きるのはもったいない。欲望を満たす、本能的に生きるために考える。今後の人生に活かしたいですね。

知るの1「日本最低な県庁所在地と言えば和歌山市ですが…」

 

そもそもなぜブログタイトルに「知る」という言葉を登用したかといいますと、下記のヤフー知恵袋の投稿を見たからです。

 

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14108669079

 

くやしかったです。「愛市心」あふれる私が、自分の故郷である和歌山市がここまで書かれるなんて…。親を馬鹿にされている気分でした。

 

しかし、和歌山市が馬鹿にされていること以上にくやしいことがありました。それは「知らない」ことです。ある程度認識できているものもありますが、恐らくここのwakayamadeath4さんは私よりも和歌山市の事を知り、この様な投稿をしているはずです。

 

この記事に釣られるなんて稚拙だと思われる方もいらっしゃるかも知れません。しかし、本当にそうなのかもわからない。「知らない」ですものね。

 

この投稿に対して、「確かになぁ…」「でもね!」「いや、違うやん。」とか言えるような人を目指して、ブログを進めていきたいと思います。

和歌山市の100年後を考えるブログとは?

このブログは和歌山市の未来を見据えるために、

和歌山市を知る。

和歌山市を試みる。

和歌山市を考える。

この3点からアプローチをかけていきたいと思っています。

 

ブログのタイトルについて述べます。

 これは私が生まれ育った市だからです。「愛市心」を持ってこのブログを進めていきます。

  • なぜ100年後か?

 当然、私自身寿命を迎えていますが、自分たちの子供も同じです。子供の面倒までが私たちの責任の範囲だと考えています。

  • なぜ考えるか?

 私たちの将来は私たちが考えないといけません。正直100年後のことなんて想像もつかないですが、予想される和歌山市の在り方を考えないといけないと思います。

 

このブログをもって、和歌山市の現状を知り、和歌山市の将来を考える方々が増えてくださることを切に願います。